市区改正という明治政府の都市計画が始まるんですが、兜町ができ上がった後、彼は市区改正だけでは兜町は発展しないということは知っていまして、その計画に加えて国際港をつくります。
もう一つは、東京駅を今の位置につくるこれは政府が決めて計画しました。
つまり日本の国土の中心である東京駅と、世界への窓口である隅田川河口の国際港のちょうど真ん中が兜町。
その兜町を挟んで上下にニ大道路をつくるというのが渋沢さんが明治政府に提言した都市計画なんです。
当時東京には港がありませんでした。
国際港横浜の港を東京へ持ってくると計画したわけですが、それが大問題になったわけです。
当然横浜が、外国商人を巻き込んで大反対をやります。
横浜というのは、明治末まで治外法権の外人居留地があり、日本の国土じゃない、裁判権もまだない、関税なども全部そこで特殊なことをやっていた地域です。
それで外国商人たちがいろんな形で圧力をかけます。
つまり日本の商人(横浜の勢力)と外国の商人が圧力をかけまして、東京築港計画をつぶしたわけです。
・・・それによって、渋沢の兜町をサッカー ショップなど商業中心として開発しようという構想は破れてしまいました。