リトピネンコ氏は1990年代後半に、ベレゾフスキー氏殺害指令を暴露したことにも関連し、ロシアで3度、反逆罪で起訴されている。
うち2件については無罪となったが、3件目の判決が出る前に英国へ亡命した。
リトピネンコ氏の毒殺が、彼らのプロパガンダの普及に貢献したのは間違いない。
ベレゾフスキー氏の仲間やPRのプロの見事な手腕のおかげで、かつてのオリガルヒがプーチンウラジーミル・プーチン大統領は関与を否定氏の追い落としを狙う政治キャンペーンロシアの諜報機関はついに、最高権力の指令の有無にかかわらず、裏切り者に制裁を加えることにしたのかもしれないし、諜報機関を去った元同僚が同じ決断を下した可能性もある。
だが、ほかのシナリオも考えられる。
リトピネンコ氏はチェチェン反乱の大儀を支持し、チェチェン独立"政府"の要職を務める亡命者アフメド・ザカエフ氏と親しかったことで、親ロシアの現チェチェン政権を敵に回した。
ラムザン・カデイロフ首相とつながりのある組織は、ポリトコフスカヤ氏銃撃についても嫌疑をかけられている。